11.総 括
 たかがキノコである。放っておけば良いのかも知れない。しかし、その姿勢がこの国を今のようなザマにしたのではないか。記憶に新しいところでは、遺跡の捏造問題がある。アマチュア研究者が捏造した。捏造が暴かれてから、「プロの学者」というものがゾロゾロとマスコミに登場してきた。

 この遺跡捏造問題を報じる昨今のマスコミの見方とは異なり、私は、あまりこのアマチュア研究者を責める気持ちにはなれない。断じて捏造を肯定しているのではない。しかし、アマチュア研究者が捏造をしているあいだ、マスコミや「プロの学者」は何をしていたか?

 アマチュア研究者が遺跡を‘発掘’する。手を泥だらけにして。衆目を集めはじめたアマチュア氏は徐々に引くに引けなくなってきた。次々に遺跡が出来上がる。アマチュア氏が‘発掘’したネタをもとに、「プロの学者」が本を書いたり、教科書に掲載した。しかし、その程度を越したことによって、そのアマチュア氏の存在が目障りになった。そして、マスコミがアマチュア氏の捏造現場を‘盗撮’し、ことが露見した。マスコミは捏造に気付いていたのである。

 やおら「プロの学者」が現れ、「再調査の結果、160箇所以上の遺跡に捏造が認められた」と発表した。160箇所もアマチュア研究者に任せっぱなしにしておいて、自分たちは今まで何をしていた?本を書くのに忙しかったのか?学会の準備に追われていたとでも言うのか?件のアマチュア研究者は捏造が暴かれたその時も失業保険で食いつないでいたという。

 しかし、一部の学者は以前から捏造を指摘していた。マスコミは学問的意義よりもネタの面白さを重視した。それだけのことである。


 オウム真理教もそうである。かつて、大手出版社のG研はオカルト雑誌の誌上で麻原があぐらをかいて飛び跳ねている様子を撮影し、‘空中浮遊’している、と報じた。その影響力の大きさを振り返ることなどない。テレビ朝日と同じく「見た者が判断すれば良い」のだろう。


 今回、再び登場したイカサマツタケであるが、それに対して疑義を唱えている側の報道をしないばかりか、イカサマであることを知っていて、報じ続ける始末である。ごく一部の週刊誌(週刊新潮)を除いて。

 世の中の多くの出来事は、明確な善悪、判断がつきにくい。法律番組でも複数の弁護士がまったく正反対の見解を述べている。視聴者はいよいよ混乱するのではないかと思うがそれが法律であり、世間なのかも知れない。そのなかにあって、科学における問題というものは、証拠次第では案外簡単に決着がつく分野である。法律、経済、政治、宗教…これらの分野と比較すれば、明らかに論じやすい。それにも関わらず、メディアが意図的かつ作為的に問題をねじ曲げていく。そして、真実よりも話題性を優先する。科学分野においてこうなのであるから、いわんやその他の分野も推して知るべし、である。

 ここでは、「イカサマツタケの研究」と題しつつ、イカサマツタケを生産販売する側に対してよりもむしろ、それをイカサマであることを知っていて人心を惑わすメディアに対して問題を投げかける内容となったのはこうした理由からである。


 最後に、一言付け加えたい。私は場末の民間研究者である。何の後ろ盾もない。しかし、それでも自分の守備範囲で生じた出来事を真摯にとらえようとしているつもりである。しかるに、公的な立場にある研究者や学者がなぜ、もっと毅然とした態度で望まないのか。少しでも生物学をかじった者であれば、簡単に見破ることができる「イカサマツタケ」。今回の件でも、多くの研究者は分かっているはずである。「余計なことに首を突っ込むことはない」、「さわらぬ神に祟りなし」とばかりに逃げているのか、それとも「バカたちに議論させておけばよい」と冷笑的に見物をしているのか…。
 そういった疑念を持ち始めたとき、良心ある学者,研究者そして、このような問題に対しても真実を追及される有名コラムニストの方がおられることを知って自分の不明を恥じた。それならば、まだ世に問う価値はある。それがこのサイトを設けた動機である。

 このサイトをごらんになったみなさんが何かを感じて頂いたら幸いである。  (了)